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2014年11月

2014年11月27日

「国際総合政策学科ゼミナールⅠ説明会 が実施されました

11月4日(火)6限に
「国際総合政策学科ゼミナールⅠ説明会が実施されました。
 
前日には「平成27年度ゼミナールⅠ履修ガイダンス」と
「国際総合政策学科2年生懇親会」が開催され、
ゼミナール選択に対する意識が向上した多くの2年生が参加しました。
 
国際総合政策学科の全ゼミナールが集まり、
教員やゼミナールの先輩から直接説明を聞ける機会ということで、
メモを片手に真剣に質問をする学生の姿が目立ちました。
この説明会に参加したことにより、
各ゼミナールが設定している説明会や
オープンゼミへの参加のきっかけとなることが期待されます。
 

■11月4日(火)『平成27年度ゼミナールⅠ履修ガイダンス』(国際総合政策学科)の様子

ゼミナール担当教員の紹介とゼミナール選択の手続きについて説明を行いました。
その後、食事をしながら先生方と親睦を深め、
ゼミナールについて詳細を積極的に質問している様子が印象的でした。






■11月6日(水)『国際総合政策学科ゼミナールⅠ説明会』の様子




ゼミ生が説明を担当するゼミナールもあり、
先輩の実体験を交えた説明に耳を傾けていました。



非常に多くの学生が参加し、終了後も個別に話を聞いており、
ゼミナール選びにどの学生も真剣でした。

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2014年11月21日

ひっそりと祀られた護良親王の首塚

三島市とその周辺には、
日本史の教科書に登場する歴史的な重大ニュース(TOPICS)にまつわる
名所・旧跡が多く点在しています。

これは、三島市の隣、清水町を流れる
黄瀬川のすぐ近くにある智方神社です。





建武二年(1335年)、
室町幕府の成立前夜に
政変の犠牲となって殺害された後醍醐天皇の息子である
護良親王の首塚が祀られているという言い伝えが残ってます。



この神社の由来には、
『殺された護良親王の首を棺に収めて
足柄街道(後の東海道)を中央(鎌倉)まで運ぶ途中に
黄瀬川が水が出て渡るのが困難だった。
やむなく川岸で休憩して棺の中を確かめたところ
時節柄首を鎌倉まで運ぶのは困難と判断して
この地に逝けて、目印として楠を建て、
足利軍の目に止まらないように、白馬伝説として言い伝えた』
 
ということが書かれています。
白馬伝説とは白馬=白旗=源氏 を意味する物だそうです。
 
下の写真は、言い伝えに残っている目印の楠です。
郷土を代表する小説家の故・井上靖が、
中学への行き帰りにここで休憩したというエピソードも残っています。
  

 

 

 
そして、とても簡素ですが、これが護良親王の首塚です。
 

 
調べると、護良親王の墓は鎌倉市にも祀られ、
また、山梨県都留市でも祀られているそうです。
智方神社の言われの中にも記述されているように
政変のただ中、
事の次第について明確な文書も残すことが出来なかったのかも知れません。
 
智方神社の隣となりには高尾山穂積神社が祀られています。
  

 
全国の神社の分社も。
 

 
そして、綺麗に清掃されている広場
 

 
今から約680年前の7月の出来事を今に伝える
智方神社です。
  

 

 

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2014年11月10日

頼朝義経の対面石(清水長泉総鎮守の八幡神社)

三島市にゆかりの深い源頼朝公にまつわる名所旧跡のひとつ
対面石の残る、清水長泉総鎮守・八幡神社へ行ってきました。
 

 
こちらは、旧東海道に面した表参道で
春、桜が満開になるとすばらしい景観で
町の人々や訪れる人を楽しませてくれそうです。
 

 

  
太鼓橋の先に境内案内図があります。
この神社の創立年代は未詳ですが、
源頼朝が社殿の再建と境内の整備などを行ない、
その後、徳川家康が1591年(天正19年)に
東海道をそれまでの足柄越えから箱根越えに改めた時に
八幡大菩薩と刻んだ御神刀を奉納して
天下太平を祈願したという言われが残っています。
 

 

 
整備された境内はいつも清掃されていて
今でも大切におまつりされている様子がわかります。
 

 

 

 
本殿はお参りに来た人のために扉が自動で開閉する
珍しい仕掛けでした。
  

 

 

 
本殿の裏へ廻ると、建物を風雨から守るためでしょうか、
社を大きく囲った建物との二重構造になっていました。
  

 

 
手書きで記された例祭(神社の行事)に、氏子のみなさんの篤い崇敬が感じられます。
 

 
さて、本堂左奥の対面石です。
兄頼朝の平家追討を加勢しようと東北の地からかけつけた義経が
この地で対面して平家打倒を誓ったのは
日本史上あまりにも有名な話で
この石を目当てに歴史好きの人々がしょっちゅう尋ねてくるそうです。
 

 

 
こちらの対面石の看板は神社を中心に道路脇に何枚も見かけます。
みかけたら看板に書かれた矢印の方向に曲がると、
ほどなく神社が見えてきます。
 

 
旧東海道沿い、源頼朝義経ゆかりの八幡神社は
国際関係学部から自転車で20分です。
 

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