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2013年05月

2013年05月31日

三島の始まりはいつ(3)向山古墳公園

向山古墳群は、昭和50年(1975年)向山小学校建設に伴って2基の古墳が発見され、
山内昭二先生(当時、日本大学三島高等学校)によって緊急調査されたのを皮切りに
これまで円墳14基、前方後円墳2基が見つかっています。





三島市内では最も古い古墳群で、田方平野北部を支配していた王の墓と考えられており、
前方後円墳があることから、
大和政権との関係を知る上で重要な古墳群とされています。



古墳群発見のきっかけとなった
三島市立向山小学校です。





この古墳群からは、鉄剣、鉄刀、鉄ゾクなどが出土しており、
調査の結果、4世紀中葉から6世紀前半に作られたということがわかっています。

貴重な遺跡であり、また
この古墳群からは三島市内と富士山の眺望が素晴らしいこともあり、
長い間三島市は発掘調査を行いながら、
古墳群公園として整備してきました。

そして先月29日、誰でも自由に立ち入れる公園として
開園記念式典が行われました。



向山古墳群は全長800mの公園ですが、
遊歩道が整備され、
古墳それぞれに発掘時の様子などが紹介されています。









古墳群の中で最大の円墳である14号墳と13号墳は
亡くなった人を葬った穴の跡を石で表示して
様子が具体的にわかるように工夫されていました。





古墳の上からは、晴れた日は富士山と三島市内が一望できます。



道標やトイレ、東屋もあり、
この日は小学生が下校帰りに寄り道していました。







古代の人々の営みに触れる向山古墳群は
大学キャンパスから車で15分くらいです。

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2013年05月27日

三島の始まりはいつごろだろう(2)。白鳳時代まで遡る国分尼寺跡

先日、奈良時代の中頃(西暦741年)に建てられた
伊豆国分寺の塔跡を紹介しましたが、
この時代、同時に建設の詔が発せられた国分尼寺も
現在の三島市内にあったことがわかっており、
現在は「祐泉寺」という臨済宗のお寺になっています。



三嶋大社にほど近い街中というのに、この界隈は閑静な住宅街で
祐泉寺は小さいながらも、とてもきちんと整えられたお寺でした。

街中に、このような佇まいの祐泉寺





中には、国分尼寺の塔心礎(塔の中心柱の礎石)が大切に保管されています。





この塔芯礎は、奈良時代の初め(白鳳時代)に建立され、
その後、国分尼寺となった大興寺(だいこうじ)の西の塔芯礎と推定されており、
薬師寺式伽藍配置という当時の建築様式を知る上で大変貴重なものです。

現在、三島市の指定文化財考古資料となっています。





境内のずっと奥には
戦国武将北条早雲の孫、北条綱重の墓が
ひっそりと祀られていました。







祐泉寺入口は
三嶋大社から旧下田街道沿いに、伊豆方面へ少しだけ下った、
大社町郵便局のすぐ脇。
清らかな水の流れる小径を入ったところです。
 

 

 
遠目にひいてみるとこの横丁になります。
写真の奥に見える緑が祐泉寺です。
 

 

本当に目立たない小さな街中の横丁の一角 祐泉寺は
大学キャンパスより徒歩15分です。
 

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2013年05月13日

三島の始まりはいつごろだろう(1)。伊豆国分寺跡を訪ねてみました。

三島市が東海道の主要な宿場町として発展を遂げたのは周知の事ですが、
奈良時代にはすでに国政の主要な場所として指定されていたことを示す史跡が
中心市街地に残っています。

伊豆箱根鉄道広小路駅から歩いて5分ほどのところにある、
伊豆国分寺の塔跡がそれです。





塔跡の南半分は失われ、
残っているのは、枘穴(ほぞあな)と呼ばれる穴のあいている礎石の一部が8個です。
そこから推定すると、一辺が10.6メートル、
高さ約60メートルの七重塔が建てられていたのではないかとのことで、
建物の基礎も一辺70メートルで、国分寺塔としては壮大な規模だったことが伺えます。
 

 
こうして写真に撮ると広い史跡のようですが、
実は、同名のお寺の一角にひっそりと残されています。
 

 
史跡が残っている現在の「伊豆国分寺」です。
一部工事中でしたが、撮影させていただきました。
 

 

 

 
奈良時代の中ごろ(西暦741年)に、
聖武天皇により、全国に「国分寺」「国分尼寺」が建てられたのは有名ですが、
この伊豆国分寺は、昭和31年の発掘(軽部慈恩の調査)により、
奈良の東大寺式伽藍配置(寺の建物の配置)であったことがわかり、
その年に塔跡が国の史跡に指定されました。
 
三島市誌に残る古い調査の記録を頼りに、
現在のその界隈を歩いてみました。
 

 
鐘楼のあったあたりは、写真館です。
  

 
ここを起点に、どことなく昔の風情が残る建物や通りを撮影しました。
 
昔はどこの旅館にも掲げられていた旅館組合の看板の残る建物
 

 
お菓子屋さん他・・・
 

 

 

 
人が一人、やっと通れるくらいの小さな踏切も見つけました。
 

 

 
映画のロケ地にもなりそうな佇まいがわずかに残っている中心市街の一角ですが、
伊豆国分寺伽藍跡の一部には「笑栄通り」と名付けられた商店街がありました。
 

 
ちなみにこの笑栄通商店街では楽笑デーというイベントを
毎月23日、24日に行っています。
このチラシは4月の第一回のものですが、5月にも実施されるそうです。
 

 
奈良時代、国分寺のあったころは巨大なお寺の境内だったこの辺りですが、
今は、掘り出し物がみつかるかも知れない商店街の小さなお祭りで賑わいます。
 

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