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2013年04月

2013年04月26日

三嶋大社のたたり石

三島市といえば、『三嶋大社』
「たたり石」と呼ばれる石があるというので
桜の若葉が爽やかな三嶋大社を訪ねてみました。
(4月19日)
 
新緑の三嶋大社は本当に清々しく、
目に青葉が鮮やかに映る・・・そんな趣でした。









池のそばにある満開のツツジが青葉に映えています。
 

  

 
境内のはずれにある土産物やさんには
この時期にふさわしく三島の伝統工芸品の「菅傘」が販売されていました。
 

 
境内の案内看板も少しずつ新しいものと入れ替わっています。
 

 

 
神馬舎の周りにはお参りした方の絵馬でいっぱい。
 

 

 
人馬舎の隣にある、源頼朝とその妻政子がすわったという石も健在。
 

 
そして、お目当ての「たたり石」は
大鳥居を入ってすぐ右側にあります。
  

 
石を解説している看板によると、
このたたり石の「たたり」は、
『たたり=祟り』と思っていたらそうではなく、
『たたり=絡垜(糸のもつれを防ぐ道具のことで、整理を意味する言葉)』なのだそうで
もともとは三嶋大社前の旧東海道の中央に置かれ、
行き交う人の流れを整理する役目を果たしていた石だったそうです。
  

 
後に、人の往来が頻繁になったのでこの石を取り除こうとするのですが、
その度に災いがあり、
それで「絡垜」が「祟り」に置き換えて考えられるようになったと伝わっているようです。
 
今の場所に置かれたのは大正三年の道路工事の時で、
今日では交通安全の霊石として信仰の対象になっています。 
  
三島市のシンボル、三嶋大社までは
大学キャンパスから徒歩で15分です。

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2013年04月16日

三島の橋

三島市内には、主なものだけでも10本以上の川が流れています。
そのため、街中では橋をよく見かけます。
 
写真は、市内御殿川にかかる「赤橋」
三嶋大社西側の、祓所神社から西に伸びる鎌倉古道を横切る御殿川にかかっています。
 

  

 
江戸時代には、駿豆五色橋のひとつに数えられていたと言いますので、
その時分からこの橋の欄干は赤く塗られていたのでしょうか。
ちなみに、駿豆五色橋とは、この、芝町の赤橋、
広小路の減平白旗橋、幸原の青木橋、沼津の黒瀬橋、黄瀬川の黄瀬川橋の5つです。
 
赤橋は車も通る橋なので、
街中に入る車が自然と速度を落とすように、ゆるくアーチを描いて作られています。
この小さな赤いアーチが、町の景観をひきたてています。
 

 

 
赤橋のかかる御殿川です。
 

  
そして、
文化財として貴重な価値の認められている『めがね橋』もあります。


 
こちらは市内を流れる源兵衛川にかかる橋で
作られた時期は明治の中期から後期頃(19世紀末から20世紀初頭)と伝わっており、
このめがね橋は東海地方唯一の2連のアーチ型石橋ではないかと言われています。
 


小さな鉄橋もあります。
ここは市内を走る「伊豆箱根鉄道」が通っています。
  

   

  
川沿いに暮らす市民もまた、橋と上手につきあっています。
  
ガーデニングしたり・・・
  

  
こちらのコーヒーショップ(?)前にはおしゃれな欄干がかかっていたり。
  

 

ユニークな橋が楽しめる御殿川、源兵衛川界隈は、
大学キャンパスから徒歩で10~15分くらいです。

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2013年04月05日

桜川人柱伝説と"ドンドン”水門

桜の花も見頃を過ぎて、春たけなわの三島市内は様々な花でいっぱいになります。
 

 

 
この日は白滝公園界隈に、人柱伝説の残る水門があるというので、
探しに行ってみました。
 
春の白滝公園は、若葉の緑いっぱい。
三島市は、市内の真ん中に、
そんなに広くはありませんが、こんな林のような公園があるのです。
緑を水面に映しているのは、市内を流れる桜川です。
 

 

 

 

 
この公園から桜川沿いをほどなく歩いたところに
伝説の水門がありました。
 

 

 
桜川人柱伝説の概要は以下の通りです。
 
<桜川人柱伝説>…………
 

 
昔、桜川は水量が多く水の勢いも強く、堤防が何度も決壊していたのですが、
ある日、ここを通りかかった一人の僧侶が
『堤防を作る人夫の中にいる、襦袢の肩当てに手ぬぐいを使用している人を人柱にすれば
堤防の決壊もなくなる』と言ったところから、調べてみると、僧侶の言ったとおりの人夫がいた。
その人夫が人柱の犠牲となったら、堤防工事が無事に完成した。
それから、三島の人は、襦袢の肩当てに手ぬぐいを使用しなくなり、
また、最近までここを通る人は履物を脱ぎ、素足で通った。‥‥‥‥‥‥‥
 
現在、この水門は”どんどん”という愛称で呼ばれていて
この日は小雨でしたが、たくさんの往来がありました。
 

 

 
農業用水としての利用が主で、
夏には灯ろう流しも行われる桜川
造られたのは江戸時代中期という説がありますが、
慶長9年(1604年)の三嶋大社の絵図には桜川が描かれているので、
もっと時代は遡るのかも知れません。
 
桜川・白滝公園までは、大学キャンパスから徒歩10分です。

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