箱根西坂(山中新田)一本杉の根元にユニークなお墓があります。
杯と徳利がモチーフになっているこのお墓の主は
松谷久四郎(俗称 久助)という人で
武家の生まれとも云われ、相当な器量人だったようですが
一生を雲助で終わったと伝わっています。
この言われに記されているように、
大名家の剣術指南役まで努めた剣の使い手で、
弱きを助け強きをくじく、面倒見のよい人柄でしたので、
雲助仲間はもちろん街道沿いの百姓、商人からも大変慕われたようでした。
終生お酒を愛し、楽しみ、酒とともに一生を終えたので
その死後、「あの世でも好きな酒を」と
彼を慕う人たちによって作られたのがこのお墓です。
下の写真は
山中城跡歩道橋からみる一号線と、
その横にある一本杉(お墓のある場所)です。
降りてみると、
雲助徳利の墓までは復元された石畳が敷かれていました。
この願合寺地区で発掘された石畳道は、幅2間、長さ706m。
保存状態も良好だったということで
少し中へ進んでみました。
訪れた時はまだ紅葉が色づいて美しい箱根旧街道でした。
箱根西坂 雲助徳利の墓までは
大学から車で15分くらいです。
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2012年12月
三島の昔話⑦<箱根の雲助伝説:雲助徳利の墓>
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市内大通り商店街の外看板②
12月に入って急に冬めいた三島市
今月のウィンドウディスプレイはやっぱりクリスマスです。
大きなツリーを店内に飾るお店も・・・。
以前紹介した
大通り商店街・おもしろ看板紹介の続きです。
(9月24日紹介分はこちら。
ここに掲載している看板の写真は今年9月に撮影したものです。)
食べ物やさんでは
お米屋さん?と思ったら
でんきやさん。
もう一軒別の電気屋さん
洋服屋さん、印鑑屋さん、そして英語教室。
他にもお店がいっぱいの三島大通り商店街。
今年もお買い物はもちろん、
お祭りや催し物で、市民の暮らしを楽しくしてれました。
大通り商店街は大学キャンパスから徒歩15分くらいです。
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三島の昔話⑥<箱根の雲助伝説:脚気地蔵>
箱根旧街道は、ひとたび雨が降ると
膝までぬかるんでしまうほど険しい山道だったのを
江戸時代に徳川幕府により段階的に改良されたという記録が残っています。
↓三島市によって復元された箱根旧街道の石畳
この街道で、
旅人の荷物を持ったり、籠かきとして働いていた人足達は
雲助(くもすけ)と呼ばれていましたが
この、雲助にまつわる三島の昔話が残っています。
<脚気地蔵> 別名「箱根の親知らず子知らず地蔵」
家出した息子を探しに来た父親(大阪の呉服問屋)が箱根峠近くまでたどり着いたけれども
たまたま脚気(かっけ)で動けなくなりそこに雲助がとおりかかります。
この雲助こそが旅人が探していた息子なのですが、
時を経て年老いたので、父ということに気づきません。
病状はきわめて重く、雲助は少しでも良くならないかと手を尽くしてみましたが
そのうち、旅人が大金(7両2分:現在の56万円くらい)を持っていることに気づき、
その旅の老人を殺害して財布を奪ってしまいます。
後で財布の中に入っていた名札で自分の父と知って悲嘆に暮れ、
そして、この事実を書き置きとして、山中城下の宗閑寺で自害。
この親子のこの上ない不幸な巡り合わせに同情し、
土地の人々が供養のために石碑を建てたのが現在ある地蔵尊碑です。
2~3年ほど前までは整備されていた地蔵尊碑でしたが、
暴風のためでしょうか、樹木が入口の参道を塞いでしまい
その所在がわかりにくくなっていました。
通りからはほんの3メートルほど。
倒木をよけて分け入ると祀られている地蔵尊碑へ行き着きます。
脚気地蔵は、
静岡県と神奈川県のちょうど県境。箱根峠です。
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