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2012年11月

2012年11月29日

三島の昔話⑤<手無し地蔵・妻塚>

平安時代の末期。源頼朝が伊豆(現在の韮山蛭が小島)に流され、
源氏再興の旗揚げを三嶋大社で行ったことから
大学のある三島市には、源頼朝にまつわる名所・旧跡が
様々な言い伝えとともに残っています。
 
そのひとつがこの<手無地蔵>です。
 
<手無地蔵>
 

 
三嶋大社の前からまっすぐ伊豆半島南端へ伸びている、
旧下田街道をしばらく南へ下ったところにある小さなお堂です。
近頃、多くの小神社が整備されて、公民館を併設するのを見かけますが
この手無地蔵も例外ではありません。
 

 
この地蔵堂近辺にあったと思われる様々な石碑は開発とともに移動され、
今はここにこうして、一同に介しています。
 

 
手無地蔵の伝承は以下の通りです。
 

 
この辺りはその昔森だったのだけれど、
一度火事になり、その後このお堂が建った。
お堂の傍には石地蔵があったのだけれど、よく化けては人を驚かせていた。
 
ある日いつものように化けて通りがかりの若侍の髪を引いたら、
その侍に左手を切り落とされてしまった。
この侍こそは源頼朝であり、手を切り落とされた石地蔵は
「手無地蔵」と呼ばれるようになった。
 
また、ここよりも更に三島市内寄りにある
<妻塚観音堂>の云われもあります。
 

 
妻塚観音堂は三島市の中心市街地にひっそりとたたずんでおり
ついうっかり通り過ぎてしまいそうなくらいです。
 

 
その昔、
源頼朝暗殺をもくろんでいた豪族(大庭景親)が、
三嶋大社へ、平家打倒の祈念に通う源頼朝を狙って待ち伏せをしていた。
ところが、頼朝暗殺を止めさせようと、頼朝の身代わりになった妻を
それとは知らずに殺害してしまう。(大庭景親の妻は源氏ゆかりの人)
大変悲しんだ大庭景親はその地に妻を供養するための塚を建てるわけですが、
 
この出来事以来八百余年
周辺の村人がここにお堂を建て、霊を慰めて現在に至っているとのことで
明治三十四年に建てられた石碑にはこの観音堂の世話人の名前が刻まれており
この地区の方たちによってお祀りされていることがわかります。
 

 

 
毎年9月には今でも例祭が行われています。
 

 
 
<手無地蔵>は、伊豆箱根鉄道三島二日町駅から徒歩12分
<妻塚>は、伊豆箱根鉄道三島田町駅から徒歩3分です。

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2012年11月26日

箱根町(神奈川県足柄下郡)に三島町?

箱根に「三島」という地名があるというので、
由来を調べつつ訪ねてみました。

11月下旬の3連休直前、
箱根路は紅葉が大分進んでいました。
 


箱根町の三島町は、箱根関所のある辺りで、
箱根駅伝ミュージアムがあり、
周辺も箱根駅伝にまつわる展示が目につきました。
 

 

 

 
駅伝ミュージアムには本学の旗も掲げられ・・・
 

 

 

 
ちなみに、本学駅伝公式サイトはこちらです。
今年は2年ぶり83回目の出場が決まっています。
頑張って下さい!応援しています。
 
さて、
この箱根関所の交差点の辻で旅館を営まれている川口屋さんが
箱根宿成立の由来を記していました。
 

 

 
これによると、
箱根の宿場は1618年徳川幕府によって開かれたとあります。
山野を拓き、伊豆の国三島宿と相模の国小田原宿から50戸ずつ移住させ
約600人で人為的に箱根宿を造りまた、
二つの系統によって支配されていたとあります。
 
成り立ちを今に伝える看板には
川口屋さんの名前が・・・
  

 
この宿が拓かれた江戸初期当時は、
霧が深く寒さがきびしく田畑も無かったと
当時の様子が文語体で書き記されています。
 

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2012年11月13日

三島傘と竹あかりのライトアップがきれいです。

秋から冬にかけて、日が短くなる時期
市内を竹あかりで彩る『あかりの回廊』が催されています。

10月の「あかりのプロムナード」
    「みしまハロウィンナイト」に続いて
 
今回は、「過去と未来が触れ合う光の庭」、三島傘と竹あかりのライトアップです。

手ぶれしていますが、雰囲気が伝わるでしょうか。
 

 

 

 
今年は、
かつて三島が全国に誇った伝統工芸「三島傘」もミニチュアとして復活。
日本大学三島高等学校 美術部
三島南高等学校 美術部
日本絵手紙協会 公認講師 長谷川敏子氏の手になる
三島の四季が描かれ、ライトアップされています。
 

 

 

 
昼間はこんな光景です。
三島和傘のディスプレイはゆうホール側の入口になります。
  

 

 
楽寿園の中は、今真っ盛りの菊や散策道がライトアップされて、
幽玄な秋の夜を楽しめます。
 

 

 

 
ライトアップは午後4時から夜10時まで。
今月30日(金)まで開催されています。

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2012年11月08日

三島の昔話④<大場の久八>

伊豆国間宮村(現在の田方郡函南町)生まれの大場久八は、
現在では全国から人が集る観光地となった、東京湾岸のお台場を作った人です。
実は、元々は任侠人ですが、剣術、知識に優れている、心の広い慈善家として
三島の昔話に語り継がれています。
 

(久八の墓所がある、広渡寺)
 
静岡県で有名な渡世人といえば、清水次郎長(1820年ー1893年)ですが
久八は(本名 森久治郎 1814年ー1892年)で、ほぼ同時代を生きています。
次郎長が数々の時代劇や浪曲、映画になっているのに比べて
大場久八は必ずしもメジャーではありませんが、
かなり奇抜なアイデアと手法を用いる、仕事のできる実務家だったそうです。
 

(広渡寺境内)
 
♦品川沖お台場の土盛を指揮して
1000人とも2000人とも言われる、現在で言えば派遣社員を創出して
大事業をやってのけた。
 
♦安政の大地震(1854年)の時には、ただちに義援金を募り、
奉行所の許可の下、被災者に公平に分配した。
 
♦困窮していた東京三宅島の島民に資金を融通した。
 
♦伊豆沖で難破したロシア軍艦ディアナ号の乗組員を援助した。
 
♦明治維新後は渡世人稼業から足を洗って帰農し、
下田街道の改修や村の小学校建設に貢献した。
 
しっかりと歴史の紐を解けば、
大場久八はもっとたくさんの功績を残しているかも知れません。
 

(久八のお墓はお寺の墓所の一角)
 

 
境内には新しく建てられたばかりの「久八成就地蔵尊」があり、
亡くなって120年経て、今なお久八が慕われている様子が伺えます。
  
幕末から明治維新にかけて、数々の功績を残した大場久八の墓所は、
伊豆箱根鉄道大場駅から徒歩7分です。
 

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