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2012年10月

2012年10月31日

<こわめし坂>番外編 箱根旧街道と朝鮮通信使の宿・松雲寺




箱根旧街道とは、
慶長九年(1604年)に江戸幕府によって整備された東海道のうち
小田原宿と三島宿を結ぶ標高845mの箱根峠を越える
箱根八里(約32Km)の区間です。





現在では舗装された道から山を管理するための林道が
ところどころに整備されています。





前回紹介した<こわめし坂>を少し三島市側へ下ると
明治天皇の史跡がありました。



東海道は明治に入ってから「国道」と改められるのですが
(現在の国道1号線と15号線)
明治天皇は東海道にその足跡を多く残されています。

このお寺、松雲寺もそのひとつ。
境内に入ると明治天皇が腰掛けてお休みなったという石がありました。


 

 

 
この石に座ってみる景色は絶景で
眼下には三島の町がひろがっており、また
ここに植えられていた樹齢を重ねた大木が狩野川台風で折れた際に、
その、村の防風の恩に報いて祀られているなど
こじんまりとしながらも、すがすがしい境内でした。
 

 

 

 
寺の庭にある三島市の保存樹木も樹齢350年を数えるというので
その歴史を紐解いてみると
 
開闢が1644年の江戸初期。
東海道を往還する参勤交代の大名たちの休息所となり、
朝鮮通信使や徳川14代家成、15代慶喜の寺本陣ともなり
明治天皇は三ツ谷新田御小休所として度々寄ったとの記録があり
そしてまた、
明治時代(6年から43年まで)は、寺子屋教室(後の坂小学校)だったそうです。
 

 

 
松雲寺までは大学から車で10分
路線バスではバス停「松雲寺前」下車になります。

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2012年10月27日

三島の民話③<こわめし坂>

 

  

 
「こわめし坂」は
箱根旧街道の三島市三ツ谷から笹原へかけての長い急坂で、
現在の下長坂(しもながさか)です。
箱根西坂ではもっとも険しい道として
昔から旅人泣かせであったと伝わっています。
 
中でももっとも斜度の大きそうな坂の傾斜を紐を使って撮ると
これくらいの坂道です。
  

 
こうして見ると、さほどでもない傾斜のようですが、
この勾配がずーっと長く続いていきます。
 

 

 
現在、道の両側は閑静な住宅街になっています。
昔の街道筋はどんな景色だったのでしょう。
 

 
<こわめし坂>の由来ですが、
背に負った米も人の汗や蒸気で蒸されて、
ついに強飯(こわめし)のようになるところから
「こわめし坂」と呼ばれるようになったと言われていますが、
坂の登り口に「こわめし」を食べさせる茶屋があったとか、
旅人が赤飯(こわめし)のような真っ赤な顔をして登ったから
そう呼ばれるようになったなど、
この話には諸説あります。
 
ちなみに、この坂の入口(下から登る)はこんな風情が残っていました。
この木々のトンネルを抜けると
さきほど紹介した集落へ出るのです。
 

 
道幅はこれくらいです。石畳だったら、本当に昔の風情そのままなのかもしれません。
  

 
こわめし坂へは大学キャンパスから車で10分。
三島駅から元箱根行きの路線バスも出ています。

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2012年10月23日

三島の民話②<言成地蔵尊>

三島市から伊豆半島の南端、下田まで向う旧下田街道沿いに
小さいけれどもしっかりした造りの地蔵堂があります。

「言成地蔵尊」と書いて「言いなり地蔵尊」と言うのですが、
祈願すれば何でも叶えてくれるありがたいお地蔵様ということで
今でも大切にお祀りされています。







実は、この地蔵尊が祀られるきっかけになったのが
江戸時代(1687年)の春に起きたとされる、
現在の三島市東本町に住んでいた小菊という幼女の悲しくて無惨な事件です。



境内に建てられている看板に書かれた由来は以下のとおりです。
 
<言成地蔵尊の由来 略>++++
小菊(当時6歳)は
道の向こうにいる母親の元へ行こうと、
うっかり大名行列を横切ってしまった。

短気で二十五歳のわがままな大名のために、
本人はもとより
問屋場、町名主、本陣、
玉沢妙法華寺(十万石の格式ある上人)など
様々な方面からの助命嘆願もならず
結局大名の言い成りに無惨に斬り殺されたところから
 
小菊の死を悼んだ里人(当時の三島宿の人々)が
地蔵尊としてまつり、言い成り地蔵と名付け、今も線香の煙が絶えない。
++++
 
この言成地蔵尊は駿河一國 百地蔵尊 第99番に数えられ、寺院名は「小菊堂」
毎年9月23日には例祭が開かれ、お札やお守り、ポストカードも売られています。
 

 

 
小菊堂・なんでも願いを叶えてくれるというパワースポット「言成地蔵尊」は
大学キャンパスから徒歩20分です。
 

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2012年10月09日

三島の民話①<孝行犬>と本陣の門(円明寺)

三島市のある静岡県は、
東北や信州に比べると民話が少ないと言われています。
それは、東海道の要所で人の交流が多く、
次々と新しい文化がもたらされて、語り部の話が残りにくかったことや、
温暖な気候のために、
こたつ談義の機会が少なかったからなどと言われていますが、
 
三島市には、史実に基づいた昔話や教え、
口承文芸として残って来た民話が数多くあり、
また、市でもそれを後世に伝えるための努力がなされています。
 
この日は
「孝行犬」という話に由来する円明寺という寺を訪ねて来ました。
 
鎌倉古道から見た円明寺の参道です。
 

 
参道の入口には石造りの本が設置されて
孝行犬の話が挿絵とともに書かれています。
 

 

 
お寺の境内には、孝行犬のお墓や記録があり、
ただの昔話と思っていたら、実際にいた犬だということがわかりました。
 

 
母犬の看病のために餌を運ぶ姿を刻まれた石像や
その当時のことが刻まれたお寺の縁起
 

 

 
円明寺は、三島に残る由緒ある寺のひとつで
その最初の建立は670年程前に遡ります。
数々の災害に遭いながらもその都度再建されて
現在は三島市の観光名所のひとつであり、
とても風情あるたたずまいでした。
 

 

 
特筆すべきなのはこのお寺の山門です。
 

 
山門は、旧三島本陣の門で、1685年三島大火の後に
本陣よりここへ移されたもので
建築学的にも非常に貴重な資料です。
 

 

 

 
ちなみに、この門のあった樋口本陣は、
現在は本町の山田園あたりにあったと伝わっています。
 

 

 

 
孝行犬の墓と江戸時代に移築された本陣の山門が残る円明寺、
そして、現在の本陣跡までは、
いずれも大学キャンパスから徒歩15分くらいです。
 

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